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子どもに勉強させる/していただく 覚醒

さて、小学生から中学を経て、高校へ。果てしなく続くかの教育に関する迷いを経験して、努力また努力の継続。子どもが大学受験する頃には、勉強を好きになれたかどうかが重要です。好きになれないまでも、自覚と意志をもって勉強に取り組んでいるかが問題です。強制的に勉強をさせるような方法が効くのは中学生の1年まで、せいぜい2年生前半くらいまででしょう。3年生ともなると、面従腹背的な態度も出てくるものです。子どもだけを批判してはなりません。保護者の態度が面従腹背を呼んでしまったと考えるべきです。高校の学習においては、範囲が広く、各教科の難易度も相当なものですから、強制されて勉強ができるようになるものではありません。よくても一夜漬け程度の効果を得るのがやっと。つまり、試験が終わったら忘れます。さらに一夜で覚えられるレベルは赤点を免れるくらいがせいぜい。高校の学習は、自己の意志、使命感、プライドをかけてするものです。小中学生のようにはいきません。

もし、子どもさんが今高校生で、小学生のころは神童と呼ばれ、中学生のときはトップクラスで、今は成績不振に悩んでいるとしましょう。既に塾に通わせたり、良い指導者に預けたりと種々の手を尽くしてきたと仮定します。そんな場合、まず勉強へ意欲、向学心があるかどうかの確認が重要です。子どもながら親の期待を背負って、成績をアップしたいとは思っていることでしょう。でも本人の主体的な向学心はいかがなものですか。低迷する成績にもかかわらず、本人は勉強をやりたいと言っていますか。そうでないなら、どうしますか。認めたくない気持ちはわかりますが、それは勉強というものがその子に向いてないということではありませんか。少なくとも現在の勉強には興味をもてないということでしょう。いさぎよくあきらめるのも一方法です。

ご両親が、例えば卓球が得意でご夫婦ともにインカレまで参加した実績があるとしましょう。誉ある卓球一家に生まれた一人っ子という仮定です。当然のようにわが子のために幼いころから練習環境をつくって、卓球の魅力を伝えようとするでしょう。中学生くらいまではまず問題ありません。でも、高校になったら本人の意思を尊重することにしませんか。客観的にみれば大会での成果もたいして出ていない、それどころかレギュラーもあやうい。本人が卓球を続けようか迷っても当然でしょう。既に天才卓球少年とかマスコミに騒がれる年下のライバルが出現しているかもしれません。だれもがインターハイに参加できるレベルまで上達するものではありません。努力とともに持って生まれた素質も必要なのです。やるだけやったのなら悔いはないはずです。一方で、客観的な成果がないにもかかわらず、本人に迷いがないのなら、応援しましょう。インターハイに出場できなくとも、インカレに出場できるかもしれません。ノーベル賞級の偉人は、けっこう遅咲きの人が多いようですし。

卓球はともかく、大学進学は就職に直結することだし、勉強をやめさせるなんて、子どもの将来が心配でできないとおっしゃいますか。でも勉強だけが子どもの将来を約束する手段ではありませんよ。かくいう私は子どもを大学に進学させていません。勝手な想像ですが、私という親の背中を見ていたからこそ、高卒で就職することを決めたと思っています。勉強の道を進むとこんなにずっと勉強し続けなければならないのかと、高校生ながら悟ったのではないかと考えています。私は現役としてバリバリ仕事をしていた55歳くらいまでは、小説を読む時間なんてまずとれませんでした。常に新技術に関する本を買ってきて、必要な道具を購入し、ハードソフト両面に投資し、仕事に遅れをとらないだけの技術を習得し続けていました。先端技術開発も多少はありましたが、大部分は遅れを取らない程度の勉強でした。

1980年代の初めから私の職歴は始まりました。文系の大学を出ても技術者になれるコンピュータ関係の仕事=情報処理技術者を選びました。そのころから20年、プラットホームはパソコンが主となり、基本ソフトウェア(=OS)が急激に進歩し、最先端技術を10年かけて習得しては、新技術出現のために半ば捨てていた時代が続きました。旧技術を捨てることができない技術者は、ある意味現役脱落。経験が邪魔になるような時代でもあったのです。20年経ってパソコンの進化が少し落ち着き始めたときには、通信ネットワーク技術が台頭してきて、携帯やスマートフォンへと必要技術はその基盤そのものが変わってきました。ソフトウェア技術の基盤であるOSは、Windowsからアンドロイド・iOSへシフトしたわけです。このような仕事環境の変化のなかでは、過去の技術的経験が新技術導入の妨げにもなりかねないのです。でもそういうときに必須なのが、コンセプトというような、変わらない大局的視点です。変化していくなかで、変わらないベースは何か、、、とか。それには、トータルな学習が必要なのです。哲学的な思想といったらよいかもしれません。

そういうなかで、私の一人息子は高卒で就職の道を選びました。高卒だから恵まれない仕事をしているのではとお考えですか。全体で400人くらいの製造業です。入社当時は100人くらいでした。今では大卒の後輩もたくさんいます。入社5年めくらいで、臨んで新工場に転勤しました。15人くらいからスタートし、今では100人超の人が働いています。そのなかで現場リーダー的な役割をこなしてきました。常に不満ばかりを口にしていましたが、私からすれば伸び盛りの企業には常にある幸せな愚痴でした。そして、就職3年目には結婚、5年目には子どもが生まれました。私は40歳代でおじいちゃんになることができました。さらに8年後にはローンを組んで家を建てました。入社15年目頃には現場を離れスタッフ部門へ配置換えされました。つまり、大卒者と一緒に入社し、大卒者と全く変わらない、むしろより幸せな人生をおくっていると言いたいのです。日本は一部の政治家が喧伝するよりは、一般市民には平等な国と言えると思います。だからこそ、良い大学に行けないと幸せになれないといった固定観念についてはよく考えていただきたいのです。

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