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2020年11月

「論評する」とは?

大学生にしばしば課される「論評」について、わたしなりの考えをまとめてみました。ご意見、異論、歓迎です。

「論評」とは、字の通り、「論じて評すること」です。
辞書を引けば、「ある物事の内容・結果などを論じ、批評すること。また、その文章」等と書かれています。
「論ずる」には、出されたテーマに関してまず自分の主義主張とか意見があるということが前提になります。他者の論理の寄せ集めでは論評になりません。
また、主観的に一方的な意見を述べるだけでは「自己主張」にしかなりません。もう少し客観的で、第三者が納得できるよう論理展開された意見でなければなりません。
さらに、自分の主張に対する他者の意見・主張も加える必要があります。それには直接的なものも間接的なものもありえます。
その他者の論理が、自分の主張を「評価」し「肯定」するものであったり、逆にたりない点をつく「批評」であったり、真っ向から「否定」するものであったりもするわけです。
それらを包含して、自分の結論なり考え方をわかりやすく納得できるように示したものが「論評」です。

ということで論評するには、
・テーマに対して、自分の意見・論理・主張を持つことがまず必要
・そして同テーマに対し、他者の論理を広く知っている=認識していることが必要。
 それも自分の論理に対し、肯定的なもの、否定的なもの、その両方を。

大学等で「・・・について論評せよ」といった課題が出された場合、
・そのテーマについて、あなたはどの程度の認識をもっていますか?
・その認識の下、あなたはどのくらい文献調査や実地調査等をこれまでやってきていますか?
・あるいは日常生活のなかで、そのテーマに関しての「気付き」がどれだけありましたか?
 :
と、質問されていると思ってください。

論評の書き方自体は千差万別です。
最初に自分なりの結論を述べて、その裏付けを様々な文献を引用して書き加えていく方法でもよいでしょう。古典的な「起承転結」や「序破急」も参考にしてください。いずれにしても、「あなたが論評する」のですから、あなたらしい独自の視点・観点があってほしいものです。

例えば、「安楽死について論評せよ」という課題が出されたとします。自分は賛成なのか反対なのか、その理由は何、まずこれらの点は欠かせません。あなたの身近に高齢者や病弱な方がいるかどうかで、あなたの考え方も認識の深さもちがってくるでしょう。社会や時事的問題にどれだけの問題意識をもっているかで、論理の出発レベルがそもそも異なるでしょう。

自分の意見をまとめたうえで、現状の調査も必須です。短期にまとめるには、書物やネット、新聞、専門誌等の文献調査が多くなります。
・日本における賛否の意見はどうなっている?
 医学界は? 法曹界は? 政治家は? 一般の人の意見は? 高齢者は?
・安楽死に関係して過去にどのような事例が出てきているか? 事件の例や当事者家族の思いは?
・老衰以外の死因の現状は?
・安楽死を認めている国の現状はどうなっている?
 いつ認めたのか? その考え方や条件は?
  :
等々。ネットならば、様々なキーワードで検索ができて、しかも書籍も例示してもらえます。一般には、時間をかければそれだけ濃密な情報を得られるものです。
さらにもし可能ならば、アンケートなどの実践調査も裏付け資料として貴重です。あなたの論評の貴重な材料になりえるでしょう。但し、実施方法や対象者の選定、設問内容、量、タイミングなど、アンケート実施前の検討事項ですら、多すぎるくらいあるでしょうが。

いずれにせよ、説得力ある論評を仕上げるのは労力のいる作業です。それだけに、それを読んで評価する側の教授は、あなたが大学生の本分である学問に真摯に向き合っているか、その一端を知ることができるのです。

 

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AIの台頭で人間の仕事が奪われるか?

 まがりなりにも40年間、情報処理業界にかかわってきた私からすれば、「またこの問題か、、、」の感が否めません。
 半世紀ほど前に、JR緑の窓口や銀行オンラインが実用化されました。そのころ、簿記を学んだ高卒女子を大量採用するより、ATMを導入した方がトータルコストが安くすむ。そんなコスト削減論理で、銀行は高卒女子の採用を急速に減らしていました。ATM導入によって、高卒生の就職先が減ったのはまちがいありません。
 また、1990年代、私がコンピュータ専門学校で働いていたころ、パソコンのオフィスソフトを駆使して1人で二人分の仕事をこなせる人材を、専門学校で養成していました。

 つまりずいぶん前から、ICT化により省力化を図ってきました。それはまちがいありません。でもそれをもって「人間が不要になった」と言えるでしょうか。人手に頼っていた単純作業が部分的に減ったのであり、人間が全面的に不要になったわけでは決してありません。

 2020年現在、私は社会人向けに簿記講習をしています。仕事の一部です。主に日商簿記2級資格をめざす講座で、今でもそれなりに人気があります。この講座では、企業の取引を仕訳し、元帳に転記し、集計して試算表をつくって損益計算書、貸借対照表という財務諸表に仕上げる練習をします。その一連の過程を学んだうえで、時間内に問題をこなせるように繰り返し練習します。集計計算は多いのですが、パソコンは使わず電卓で手計算します。仕訳は、取引を記述した文章を解釈して、簿記の勘定科目に振り分ける作業です。これを例えば、変動する外貨建て取引の場面で、どう考えてどの科目を使って記帳すればよいのか学びます。

 これらの一連の作業工程が、実務の現場では、仕訳をするだけになります。あとの処理はパソコンがやってくれます。10万円程度のパソコンと、3〜4万円の会計ソフトを購入すれば準備OKです。それこそボタンひとつで財務諸表ができあがるのです。

 さてこういう時代になって、簿記を学ぶことは不要になったでしょうか。現実は真逆です。パソコンがほとんどの処理をしてしまうからこそ、その処理内容を理解し、会社の状況や取引条件に応じて、標準的な処理の是非を判断し独自の修正処理等を加える必要が出てきます。標準の手順からはみ出した内容について、人間が適切な判断を加えながら業務を進めるのです。

 一方で、米国などでは、AIが膨大な判例を自動で集めて、弁護士の仕事を代行しているという事実もあります。こちらも、専門性こそ高いかもしれませんが、あるいは高いように見えますが、基本はルーチンワークです。だから機械化ができるのです。文字認識で膨大な判例をキーワードで絞り込んで、またさらに別のキーワードを加えて、最後に専門家が文章を読んで判断しているのでしょう。

 昔も今も、コンピュータ応用技術によって不要になった作業はルーチンワーク的なものです。決まり切った内容を、高速かつ正確に機械が代行するという機械化の1つにすぎないのです。

 様々な形式の請求書から、必要な項目や数字を読み取って、コンピュータに入力する作業はまだ人間の出番が多いでしょう。多様な形式から必要な情報を読み取るには、例外的な部分を判断しなければならず、機械には苦手な作業だからです。これが郵便番号のように限定されたものだと、ずっと機械化しやすくなります。処理量が多ければ、手書き文字認識のための開発投資コストも容易に吸収できます。チェスや将棋、碁のようなゲームの世界で人間を超えるシステムができあがっているのは、検討する世界が限定されている、つまりせまい世界にすぎないからです。

 先の判例集めも含め、今は限定された業界や業務の分野から、コストパフォーマンスに照らして機械化を進めている段階です。SFで描かれているような、人間を超えるAIは現れてはいません。費用対効果というきわめて現実的な理由で、機械化が進んでいるだけです。コンピュータの処理速度は人間を超越したものですから、ネットワークという空間をも超越した環境を利用すれば、かつては想像もしなかった驚異的なシステムができあがるというのも事実ですが。

 

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