« 高校までの学校の勉強は実社会で役に立つか | トップページ | 「論評する」とは? »

AIの台頭で人間の仕事が奪われるか?

 まがりなりにも40年間、情報処理業界にかかわってきた私からすれば、「またこの問題か、、、」の感が否めません。
 半世紀ほど前に、JR緑の窓口や銀行オンラインが実用化されました。そのころ、簿記を学んだ高卒女子を大量採用するより、ATMを導入した方がトータルコストが安くすむ。そんなコスト削減論理で、銀行は高卒女子の採用を急速に減らしていました。ATM導入によって、高卒生の就職先が減ったのはまちがいありません。
 また、1990年代、私がコンピュータ専門学校で働いていたころ、パソコンのオフィスソフトを駆使して1人で二人分の仕事をこなせる人材を、専門学校で養成していました。

 つまりずいぶん前から、ICT化により省力化を図ってきました。それはまちがいありません。でもそれをもって「人間が不要になった」と言えるでしょうか。人手に頼っていた単純作業が部分的に減ったのであり、人間が全面的に不要になったわけでは決してありません。

 2020年現在、私は社会人向けに簿記講習をしています。仕事の一部です。主に日商簿記2級資格をめざす講座で、今でもそれなりに人気があります。この講座では、企業の取引を仕訳し、元帳に転記し、集計して試算表をつくって損益計算書、貸借対照表という財務諸表に仕上げる練習をします。その一連の過程を学んだうえで、時間内に問題をこなせるように繰り返し練習します。集計計算は多いのですが、パソコンは使わず電卓で手計算します。仕訳は、取引を記述した文章を解釈して、簿記の勘定科目に振り分ける作業です。これを例えば、変動する外貨建て取引の場面で、どう考えてどの科目を使って記帳すればよいのか学びます。

 これらの一連の作業工程が、実務の現場では、仕訳をするだけになります。あとの処理はパソコンがやってくれます。10万円程度のパソコンと、3〜4万円の会計ソフトを購入すれば準備OKです。それこそボタンひとつで財務諸表ができあがるのです。

 さてこういう時代になって、簿記を学ぶことは不要になったでしょうか。現実は真逆です。パソコンがほとんどの処理をしてしまうからこそ、その処理内容を理解し、会社の状況や取引条件に応じて、標準的な処理の是非を判断し独自の修正処理等を加える必要が出てきます。標準の手順からはみ出した内容について、人間が適切な判断を加えながら業務を進めるのです。

 一方で、米国などでは、AIが膨大な判例を自動で集めて、弁護士の仕事を代行しているという事実もあります。こちらも、専門性こそ高いかもしれませんが、あるいは高いように見えますが、基本はルーチンワークです。だから機械化ができるのです。文字認識で膨大な判例をキーワードで絞り込んで、またさらに別のキーワードを加えて、最後に専門家が文章を読んで判断しているのでしょう。

 昔も今も、コンピュータ応用技術によって不要になった作業はルーチンワーク的なものです。決まり切った内容を、高速かつ正確に機械が代行するという機械化の1つにすぎないのです。

 様々な形式の請求書から、必要な項目や数字を読み取って、コンピュータに入力する作業はまだ人間の出番が多いでしょう。多様な形式から必要な情報を読み取るには、例外的な部分を判断しなければならず、機械には苦手な作業だからです。これが郵便番号のように限定されたものだと、ずっと機械化しやすくなります。処理量が多ければ、手書き文字認識のための開発投資コストも容易に吸収できます。チェスや将棋、碁のようなゲームの世界で人間を超えるシステムができあがっているのは、検討する世界が限定されている、つまりせまい世界にすぎないからです。

 先の判例集めも含め、今は限定された業界や業務の分野から、コストパフォーマンスに照らして機械化を進めている段階です。SFで描かれているような、人間を超えるAIは現れてはいません。費用対効果というきわめて現実的な理由で、機械化が進んでいるだけです。コンピュータの処理速度は人間を超越したものですから、ネットワークという空間をも超越した環境を利用すれば、かつては想像もしなかった驚異的なシステムができあがるというのも事実ですが。

 

|

« 高校までの学校の勉強は実社会で役に立つか | トップページ | 「論評する」とは? »

教育」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 高校までの学校の勉強は実社会で役に立つか | トップページ | 「論評する」とは? »